----突然ですが1983年(昭和58年)を思い出したので----

35年位前だろうかカーペンターズの
”Yesterday Once More
♪ When I was young I'd listen to the radio
 Waiting for my favorite songs
 ………
が流行っていたころ、出稼ぎ先でテレビもない生活を送っていたからよくラジオを聞いた。
当時の
most favorite musicは午前0時の定期便「ジェットストリーム」#1「Mr lonely」

そして今も孤独な畑での作業中などよくラジオを聞く。


毎年,紅葉の頃、りんごの手入れをしていると地元信越放送ラジオの武田徹パーソナリテイがハイファイセットの「燃える秋」をかける。
「あれは、燃える亜希(の体)、ではないか」と思わずつぶやいてしまうのがここ数年、秋の慣例になっている。

「燃える秋」は五木寛之の同名小説が昭和53年に映画化されたときの主題歌だが、初めてその本を読んだのが昭和58年の事だ。
その年、「ジェットストリーム」にいざなわれるかのように、生涯で最初(そしておそらく最後)の海外旅行に出かけた。


  1983年 ペルシャ湾上空のボーイング707

一人でパックツアーに参加したのだが、偶然中学の時隣のクラスにいたMさんが参加していたり、若い女の子が多くいたのでハーレム状態だった。
その中の一人Kさんから旅行から帰ってから借りたのが「燃える秋」だった。
その後Kさんが結婚したのか、はたまた中東方面へ ペルシャ絨毯を織りに行ってしまったのか判らないが、未だ本を返せないでいる。


1983年 中学隣のクラスのMさんと


             
Xさんbigig

 


ここ数年、これも孤独な新聞配達時、朝3時半ごろからNHKのラジオ深夜便を聞いている。4時と5時のニュースの間に「こころの時代」というインタビュー番組をやっている。最も印象深かったのは脚本家の市川森一が病死する母親との最後の別れの場面だった。最近は「正教徒ニコライとドストエフスキーの手紙」「ニューギニア帰還体験を地域医療に」など放送されたのだが、前後のニュースで「ニューヨーク市場で株が暴落」といった、「百年に一度の経済危機」が度々報じられるものだから、持たざる者の傍観者には、金持ち関係者が突然ペシミズムの奈落の底へ叩きこまれる様子が想像され、最近の朝4時から5時は正に一部の人にとって「心の時間帯」に思える。

ただ、毎月最終の日曜の朝4時過ぎからだけは「五木寛之わが人生の歌語り」が放送されている。戦後北朝鮮の平壌から引き揚げた後、金沢、横浜、京都、横浜と移り住んできた話などを05年4月から聞いているが、ようやく昭和50年ころの話にたどり着いた。この11月末には「燃える秋」に話が及ぶかもしれない。年内には58年そして昭和が終わるかもしれない。


昭和60年の御巣鷹山JAL747墜落事故に隠れ話題になることもないが、昭和58年には、中学、高等専門学校の1年先輩、山口正一さん家族が米国松下電器から日本に帰任する為乗った大韓航空ボ−イング747が9月1日にソ連戦闘機に撃墜された。(同じ日、3男坊が生まれた)
例えば 「ジェットストリーム」#2  或いは「ジェットストリーム」#3 の何事も無い日常の日々。帰国の途の家族でくつろいでいたであろう時間。それが瞬時に破壊されてしまった事件に慄然とした1983年。
昭和40年代、兄や弟が高校の英語副読本で「アニマル ファーム」を読んでいて、たまに盗み読みしていた。大国のエゴイズムを皮肉っていたと記憶するが、その作者「ジョージ オーエル」の作品に「1984年」がある。戦後の冷戦下ソ連では粛清で名高いスターリンがまだ君臨していた1948年に近未来を危惧し書かれたようだが図らずも「1984年」の1年前、1983年にそれが現実になってしまった様に思える。


いずれにしても最も記憶に残る1983年です。
*2  - 2

 
”Yesterday Once More” の カーペンターズの妹 カレンは1983年2月4日死去
                         そしてカーペンターズも消滅)



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 Mさん Kさん、皆さん、お便りまってます (望むべくもありませんが)


 HOMHOM E