WTI原油先物が115ドルを超え、暫定税率凍結でガソリンが値下がりした,うたかたのパラドキシアルな
状況下、娘、嫁と地図のないドライブに出た。羽田に行って飛行機でも見ようと、18号線を南下、環状8号線
に入ったが朝の渋滞は酷く、首都高速に載り湾岸線を羽田空港までたどり着いたが見物スポットを見つける
ことが出来ず八景島シーパラダイスまで更に南下。もう少し行けば昔働いたことのあるトヨタ車体追浜工場や
日産の追浜工場、テストコースがある。
シーパラサイス横の建物の前で娘に「(いとこの)Yちゃんはここで勉強しているんだ。」「へー、すごいね。」
などと話している間に、ある場所を訪ねてみたくなった。
二人を横浜中華街で降ろし京浜急行南太田駅へ向った。道を訊ねながらドンドン商店街を抜け登り
撮った写真が以下のもの。この清水ヶ丘まで、昭和48年から翌年まで、前を行くお姉さん達の
ミニスカート姿をチラチラ見ながら、よく登ったものだ。
30数年ぶりに訪れてみると、関東大震災直後に造られた堅固な建物は取り壊され、昔のままひとり
残された門柱には違う看板「横浜清陵総合高等学校」がかかっていた。
この学校の前身、昭和51年に開校した「清水ヶ丘高校」の卒業生に女優「斉藤由貴」がいるそうだ。
彼女も3年間ここ迄登ったのか、と感慨ひとしお。
彼女が高校生だったその僅か10年程前には、今は凶器準備集合罪が適用されてしまうが、京浜急行は
横須賀へ向うヘルメット+マスク+ゲバ棒姿の若者であふれかえり、清水ヶ丘には機動隊が常駐していた。--
--------------------等々、私的タイムトラベルの一日でした。




この車、斉藤由貴がここに通っていた頃につくられた。
逆光下、24年を経て子供にポンコツと呼ばれる逆境にめげず生き長らえる、昭和59年製セリカXX2000GT。



清水ヶ丘からの帰り道にて。この丘の向こう側に住んでいた。どうでもよいのですが

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